クリング・コーア HOMEへ
資料室

「クリング通信」No.7

ロッチュ先生ご紹介。

さて、今回は、ロッチュ先生のご紹介です。

ハンス・ヨアヒム・ロッチュ(Hans Joachim Rotzsch)
1929年ライプツィヒ生まれ。(日本人なら、巳年)基礎的な音楽教育は戦時中フランクフルト・アム・マインで受ける。ギムナジウム時代にはすでに、ボーイソプラノのソリストだった。45年にライプツィヒに戻り、49年にはライプツィヒ音楽大学で教会音楽を学ぶ。53年教会音楽で国家試験合格後、さらにフリッツ・ポルスターに声楽を師事。聖トーマス教会合唱団のバーゼル公演で、バッハ「ヨハネ受難曲」のソリストとしてデビュー。国内外でテノールのソリストとしての地位を確立する。また一方で聖トーマス教会のヴォイストレーナー、ライプツィヒ歌劇場への定期客演、ライプツィヒ音楽大学講師と多岐にわたり活躍。72年聖トーマス教会の音楽監督に就任。以来数々の業績で、世界各地の音楽ファンを魅了し続けている。67年旧ドイツ民主共和国芸術賞、76年ドイツ国家賞を受賞。85年大阪での「マタイ受難曲」演奏で最優秀ライヴコンサートとして朝日放送賞を受賞。91年聖トーマス教会音楽監督を辞任。以来、ザルツブルグ・モーツァルトテウムにて客員教授を務めている。97年・98年と東京で「ロ短調ミサ」「ヨハネ受難曲」「バッハモテット」などを演奏している。

◆ロッチュ先生について、直子先生に書いていただきました。
◎Unser Maestro Herr Rotzsch第30代・聖トーマス教会Kantor(音楽監督)、 BACHから数えて15人目に当たる氏は、20年に渡って教会の職務に携わり、Thomanerchor(聖トーマス教会合唱団)の子供たちに最も信頼の厚いKantorとして有名です。1992年に旧東ドイツ秘密警察との関係を問われて辞任。その後1年間は職に就くことを許されなかったそうです。その陰りを全く感じさせない、屈託のない愛情あふれる人間性には、計り知れない奥の深さを感じます。東独の国家的役割として子供たちを教育する立場にありましたから、その影響は多大なものだったでしょう。Thomanerchorは西も東も含め、世界中で演奏する特別な立場にいました。この東西の社会の差を子供たちにどのように説明していたのか、とても興味がありました。氏は子供たちに「世界中を見なさい。世界にはいろいろな考え方があり、良い面も悪い面もあるのだよ」とだけ言ったそうです。東独には大勢の優秀な音楽家がいました。しかし、壁の崩壊後、その生活は様々です。常に未来である子供たちと共に歩んできたからなのでしょうか、BACHの歴史を引き継ぐ内容の深さと自由な発想には、いつもワクワクさせられます。
それにしても、前回来日したときに「電車でGo!」を説明書なしでも楽しそうに遊んでいた彼と、BACHの大家は同一人物なのですよね???!(近藤)

◎ライプツィヒ聖トーマス教会の音楽監督
J.Sバッハが1723年から亡くなる1750年まで務めていたのが、聖トーマス教会の音楽監督。この職にある間に、「マタイ受難曲」「ロ短調ミサ」他、数々の教会・世俗カンタータを作曲・初演しています。ロッチュ先生は、このバッハと同じ職に約20年間ついていらしゃいました。在職中に何度か公演で来日されており、今でも来日のおりには、熱狂的なファンが追っかけにきます。観光ガイドなどのちょっと古い写真には、ロッチュ先生が合唱団を指揮している姿を今でも見かけることがあります。

◎個人的にロッチュ先生との公演は、3回目になります。以前、「ロ短調ミサ」と「バッハモテット」を歌う機会がありました。厳しい方でしたが、怒鳴ったりする事もなく、穏やかな印象を持っています。印象的だったのは、誰でもがエベレストを目指す必要は無く、その合唱団なりの頂上を目指せばよい・・というようなことをおっしゃっていたことです。裏返して考えれば、幼稚園なみと判断されれば、それなりの頂上を目指して下さるということ・・・。本人たちが少しでも上を目指さない限り、無理矢理に引っ張り上げたりはなさらない、ということでしょうか。当たり前のような気もしますが、ものすごく厳しい考え方です。(T.M)1999/8
HOMEスケジュール会場マップKling Chorについてコンサートこれから&これまで
写真館団員募集発声講座資料室もーりんの部屋更新履歴サイトマップ